立ち合い分娩の感想

残像、この温かな日々

『残像、この温かな日々』

もう、70年以上にもなる間、いつも生殖という現場が自分の傍らにありました。その現場たるものは記憶の中に細胞核のように不変の位置を占めて、その都度の必要な思考づくりを細胞質に命じ、周囲の環境因子を細胞膜を通じてやり取りし、あたかも人生を規定するように強いてきたのです。その核を持つ細胞が分泌した心の成長因子を、ただただ生殖という一つだけのキーワードに収束するなかで過ごしてきたように思います。

そうして生きながらえた生命は、それ以外の何物でもなかったし、その一つのキーワードから抜け出し、新たな核や細胞質も持とうにもこの生物の特性は新たな変異を許してくれなかった。外から攻撃してくる幾つかの変異を誘発しようとする試みは、やがて自分の持たされた細胞核の作用によって退けられてきた。ここに来てこの己という生物は、老いてまでも自身の歩んだキーワードを確固させようとすることに幸せ以外の別感情を持つのです。しかし、それは今でも確実に否定されるべく幾つかの残像として残り、残された記録の中にも見出されるのです。

そこに入ると今でも分娩室はそのままで、過去の遺産が保存されたように、消毒したままの器械類やガーゼなども器械棚の中に残されている。新生児室には新生児用コットが整然と並び、壁には優しいディスプレイが架けられている場所。もう誰も訪れることなど無いはずなのに、そこに居るとあの頃の必死さを伴った喧騒と新生児の息遣いや声が聞こえてきそうな空間です。そして分娩室や手術室に目をやれば、今にでもお産も帝王切開術だってできる様な錯覚にとらわれるのです。

当院による分娩の取り扱いが終了してから17年が経過し、全てがあの時のままのナースステーションの棚に3冊の声のファイルが残されていました。この時までに生まれた子供たちは、もうお母さんやお父さんになって、この声のファイルを残していってくださった方々の中にはお孫さんのお相手をして方もいるのでしょう。

もう、戻ってくることは無いと分かり切っているのに、ここに来るとなぜか残像のようにこの温かき日々を、そして生まれ育っていく現場に立ち続けた日々を懐かしく思い出すのです。

声のファイルの中に保存されて、その時以来誰の目にも触れないで残された文の中には、当時の面影が色濃く残こり、温かな日々として今でもあり続けることに立ち止まり、安心を覚えるのです。

*文章中、個人名や日時などの情報は個人情報保護の視点からも文章内容の意味が変化しないと考えられる範囲で文章の変更あるいは削除させていただきました。付随する本人以外の文章がある場合は、筆者が記載したものです。

ファイルのご紹介は1、2通ずつとなりますが、年月などは順不同となります。

声のファイル1

不妊症克服そして立ち合い出産

(不妊症克服)

この手にこんなかわいい我が子を抱けるなんて、10年前には考えられなかった夢のような出来事です。

不妊症の治療を始めたのは、上の子が5才になった時「僕にはなぜ兄弟がいないの?」と言う言葉を聞いた時からです。

主人は自称子供好きのため、3人くらいは子供を欲しいと思っていたのになかなかできなくて〝なぜ私たちには子供が恵まれないのだろう〟と夜になると涙を流す毎日が続いたのはこの頃です。主人には本当に申し訳ないと心の中で謝るしかない自分自身が情けなく思えてなりませんでした。

不妊症の治療をしている病院へ行っていろいろな検査をしたり、治療を繰り返し、毎月生理が来るたびにがっかりするのが辛い年月でした。最後には神頼み物見にも行ったりしていました。

団地に住んでいたので小さい子を連れて遊んでいる親子を見るのが辛かったです。保育園でも小学校でも「一人っ子」と言う言葉を聞くたび淋しく思いました。

あかほり産科婦人科を訪れたのは榛原病院へ通院中「赤堀さんへ行ってみる?」と言われてから2年目でした。その頃、中学生になっていた長男に「今でもまだ兄弟がほしい?」と聞いた時「ウン!できるならほしい」と言った言葉にこれが最後と一大決心をして出かけていきました。

診察のあと「まだ2~3年は大丈夫!1年間くらいで妊娠できる様に頑張りましょう‼」と言ってくれた言葉がとても嬉しくて勇気が湧いて〝よーし、1年間頑張ってみよう〟と思いながら元気に「はい!」と返事をしました。それから1年後、主人も少しずつ諦め始めていた時の妊娠でしたのでとても嬉しかったです。

今、不妊症の夫婦が増えていると聞きました。私達が諦めていた5年間が悔やまれてなりません。できるだけ早く治療を始めることの大切さを知りました。でも最後まで諦めなくて良かったとつくづく思います。今、子供が欲しいと努力している人達には本当に頑張って欲しいとエールを送ります。

(立ち合い出産)

立ち合い出産の偉大さを知ったのも今回の出産でした。一カ月近く早く生まれてしまった我が子はちょっと小さ目ですが、元気のよい男の子でした。

お腹の張りと少しの出血があり入院して3日目、突然の破水をしてしまい出産に至りましたが、子宮口がなかなか開かず、私も主人も普通に産めないとあきらめかけていました。ところが、その後急に陣痛が来て出産できました。

主人の会社へ破水したからと電話を入れると主人は病院へ来てくれました。まだ子宮口が開いていないと聞いて、一度家へ帰り食事をしてからもう一度来てくれました。病室にいる間ずっとそばに居て話をしたり、呼吸法のプリントを二人で見たりしてとても心強かったです。

二度目の両親学級が終わった時から私は立ち合い出産を望んでいました。主人は迷っていたようですが、看護婦さんに呼ばれて「はい」と返事をしてしまったと後から言っていました。私の方は陣痛室から分娩室へ移った時、直ぐに主人が来てくれて「がんばれよ」と言って手を握ってくれた時、思わず「ウン、頑張るからね」と答えていました。それから無事産まれるまで苦しかったけど短い時間だったような気がします。小さな産声が聞こえた時「よく頑張ったな」と言って私の頭をなぜてくれた時、今までの苦しみはどこかへ消えてしまいました。隣で処置を受けている我が子を見て「足はちゃんとある?手は?」と聞く私に「ウン、あるよ、あるよ、ちゃんとあるよ」と一生懸命に答えてくれた主人の言葉を一生忘れる事は無いと思いました。

主人は少し涙ぐんでいるようでした。主人と二人、同じ苦しみと幸福感を同時に感じあえた事は、私達夫婦にとってこの上なく幸せな事です。

病室へ戻った私に「産まれる時すっごく感動した」と言ってくれた時、立ち会ってもらって本当に良かったとつくづく思いました。私達は二人で協力しあって、いえ長男も入れて三人で子育てを頑張っていくつもりです。この子が大きくなったら、いろいろな事を話してあげたいと思います。

先生、スタッフの皆さんには大変に心配かけさせた私ですが、本当にありがとうございました。

関連記事