そこに入ると今でも分娩室はそのままで、過去の遺産が保存されたように、消毒したままの器械類やガーゼなども器械棚の中に残されている。新生児室には新生児用コットが整然と並び、壁には優しいディスプレイが架けられている。もう誰も訪れることなど無いはずなのに、そこに居るとあの頃の必死さを伴った喧騒と新生児の息遣いや声が聞こえてきそうだ。そして今にでもお産も帝王切開術だってできる様な錯覚にとらわれる。
当院による分娩の取り扱いが終了してから18年(2025年現在)が経過した。全てがあの時のままのナースステーションの棚に3冊の声のファイルが残されている。この時までに生まれた子供たちは、もうお母さんやお父さんになって、この声のファイルを残していってくださった方々の中にはお孫さんのお相手をして方もいるのでしょう。
ここに来るとなぜかこの温かき日々を懐かしく思い出すのです。
*文章中、個人名や日時などの情報は個人情報保護の視点からも文章内容の意味が変化しないと考えられる範囲で文章の変更あるいは削除させていただきました。ファイルのご紹介は1、2通ずつとなりますが、年月などは順不同になっています。
声のファイル2、
長い間おせわになり、本当にありがとうございました。私のような体で2人もの子供に恵まれましたのも皆様のおかげと心から感謝しています。子供たちが大きくなったら、この世に生まれてこられたのは多くの方々のお力によるものと話してあげようと思います。
このような世の中ですが、決して自殺などさせない命を大切にする子供に育てようと思っています。
ありがとうございました。
参考)添付された当時の新聞記事:
中一女子飛び降り 愛知 十一日午後六時十五分ごろ、愛知県小牧市常普請、小牧市民病院の南駐車場で、女性二人が血を流して倒れているのを「ドスン」という音を聞いて駆け付けた看護婦が見つけた。二人は全身を強く打って即死状態だった。 小牧署や病院職員らによると、二人は同県岩倉市内の中学一年生で、ともに十三歳。同病院南館八階(高さ三十メートル)の物干し置き場東側に二人の靴とカバンがそろえてあり、一人の親にあてたとみられる書き置きが残されていたという。 同署では二人がフェンスを乗り越えて飛び降り自殺を図ったものとみて、詳しい原因を調べている。 |
声のファイル3、
先生、看護婦の皆様へ、
俺は小学校の時、三保の人体博物館に連れて行ってもらったことがありました。この時は、人間の身体がこんな風になっているのが分からなかったのでびっくりしてしまい、ちょっと気分が悪くなってきました。そして出産シーン(ビデオ)のところでついにダウンした覚えがあります。その後に母から出産時には立ち会うことができると教えてくれました。その時、俺は❝立ち合いなんか絶体ヤダ❞と思った。
そして妻が出産前になって「私の友達はだんなが立ち会ったみたいだけどあんたはどうするの?」と聞かれました。でも俺は昔のこともあるし、正直言うとあまり乗り気じゃなくて「お前は立ち会って欲しいか?」と聞き返したら「どっちでも良いよ」(妻らしい答えだ)と返事が返ってきました。
その時、俺はとっても悩みました。妻は10カ月間よく頑張ったなぁ、つわりもひどくて中期頃は中毒症になりかかって食べ物も制限されてたし、夜に腰が痛いって眠れないとか言ってたっけ、、、今日出産か、、、いろんな人から聞くと生き地獄だったとか、死ぬかと思ったとか、よく言ってたな、、、その大変な時に俺は何もできないのか、俺たち2人の赤ちゃんなのに、、、何ができるか、その時決心しました。
せめて立ち会って手を握ってやるだけでも精神的な支えになるのではと思って立会いを希望しました。
立ち合いの感想としては、他の病院で立ち会った連れに聞いた時には、下半身に布をかけてあって見えないから、と言われていたので安心していたのですが、、、❝布がねーよー❞、俺は怖くてとても見られなくて横目で、ちら、ちら、と言う感じで、、、アー怖かった(でも赤ちゃんが出た時はばっちり見たよ)。でも、何て表現していいのか、とにかく、すっげー感動しました。
もー、今となっては立ち会って良かったと思いました。妻はもうこんな痛いのはヤダーとか言ってたけど、また出産の機会があったら必ず立ち会いたいと思ってます。
ありがとうございました。
先生、看護婦の皆さん本当にありがとう。
PS.いやぁ、赤ちゃんて本当にかわいいもんですねぇ。