残像、この温かな日々

残像、この温かな日々(5)

そこに入ると今でも分娩室はそのままで、過去の遺産が保存されたように、消毒したままの器械類やガーゼなども器械棚の中に残されている。新生児室には新生児用コットが整然と並び、壁には優しいディスプレイが架けられている。もう誰も訪れることなど無いはずなのに、そこに居るとあの頃の必死さを伴った喧騒と新生児の息遣いや声が聞こえてきそうだ。そして今にでもお産も帝王切開術だってできる様な錯覚にとらわれる。

当院による分娩の取り扱いが終了してから18年(2025年現在)が経過した。全てがあの時のままのナースステーションの棚に3冊の声のファイルが残されている。この時までに生まれた子供たちは、もうお母さんやお父さんになって、この声のファイルを残していってくださった方々の中にはお孫さんのお相手をして方もいるのでしょう。

ここに来るとなぜかこの温かき日々を懐かしく思い出すのです。

*文章中、個人名や日時などの情報は個人情報保護の視点からも文章内容の意味が変化しないと考えられる範囲で文章の変更あるいは削除させていただきました。

ファイルのご紹介は1、2通ずつとなりますが、年月などは順不同となります。

声のファイル7

アクティブバースを経験して(本人)

アクティブバースは今回2人目の妊娠で初めて知りました。自然に自由にお産を経験でき、家族の者が心を一つにしたお産、そして我が子を温かい環境の中で迎えられると言うところに魅力を感じました。

今回、どうしてアクティブバースを希望したかと言うと、お産というものは女性だけのものでは無く、夫婦のもの家族のものにしたいと言う以前からの私の強い願望があったからからです。また、1つの命が誕生すると言う感動や家族が増えると言う幸せを夫や長男と共に感じ合いたいと思っていたこと、特に長男には命の誕生する瞬間を見せて命の尊さを伝えたいと思っていたからです。だから、自然な分娩方法を望むと言うより立ち合い分娩を望んでいました。

しかし、アクティブバースを意識した妊娠期間は正直言って不安でした。“どういうお産をしたらいいのか″ということが想像つかないのです。陣痛を乗り越えて私のお産が実現できるのか、どんな体位で分娩したらいいのか、自然に自由にというだけに分娩について考えられなくなってしまうのです。

お腹も目立ちはじめた頃、赤堀先生にアクティブバースについて相談すると先生からは「テキストはないし、やり方も決まっていない、あなた自身のお産である」ということを告げられました。そして夫とどんなお産をしたいのかよく話し合っておくことが大切であると話してくださいました。その瞬間、ハッと我に返り、私はアクティブバースを希望していたにもかかわらず、分娩を医師や助産婦さんに頼ってしまっていたと反省しました。「私のお産なんだ」その時、妊娠、お産が私のものとなりました。

夫にお産を家族みんなのものにしたいこと、長男に命の尊さを伝えたいこと、我が子が初めてこの世に出て出会うもの見るものが家族であってほしい、温かい雰囲気で迎えたいことを伝えました。なによりも夫と私のかけがえのない子どもです。夫と心を一つにしたかったし、夫にそばにいて欲しいと言う依存心もありました。

いよいよお産が始まりました。頭の中はアクティブバースのことばかり。しかし、陣痛が不規則でなかなか分娩を迎えられません。陣痛の合間には眠気がやって来て眠ってしまうと陣痛がおさまってしまう程でした。もう私の気持ちは途方に暮れていました。「いつになったら産まれるのだろう…、あー痛い」

5月12日午後2時、子宮口は全開。先生に破水させてもらい、いよいよ分娩。「もうひと踏ん張りだ!頑張るぞ」、夫、長男、母がそろい「産むぞ‼」体位はあまり考えていなかったけど、したくなる姿勢で産もう。とりあえず夫にはそばにいてもらいクッションで体を支えよう。(下向きの姿勢で)いきみたくてしょうがない。呼吸法も何も指示されない。「いきみたければいきんでください」先生の一言でとても気楽になる。いきみたいままにいきむ。今度は夫に抱きつき支えてもらう。いきみを我慢するのは本当に辛いけど最大の力でいきんでしまっている方が痛みは和らぐ。さらに先生のアドバイスで夫に支えてもらい、背中を付けて仰向きの姿勢になる。いきみ具合も要領をつかめてくる。「頭が出てきた!」長男興奮気味に叫ぶ。「頑張れ頑張れ」母の声が励みになる。「もう一息、頑張れ」夫の力強い掛け声に力が湧いてくる。私が頑張らなきゃ‼ 私が産まなければ‼ 「産まれた!!!」

「産まれてよかった、一安心だ」大きな仕事をやり遂げたこと、希望通りお産ができたできたことで満足感いっぱいになり、感激で涙があふれました。その後赤ちゃんとの対面にもかかわらず長男がどんな顔をしているのか、どんな気持ちでいるのか、ショックを受けたりしていないかと長男のことばかり気になっていましたが、産まれたばかりの赤ちゃんに「赤ちゃん!」と思わず触れてしまう長男の姿、私の泣き顔を見て一緒に目をうるませている表情にアクティブバースを経験させてもらえて本当に良かったと安心感、満足感で胸がいっぱいでした。

破水をさせてもらったり、体位をリードしてもらったりしたことを考えると自然分娩とは言えなかったと思いますが、家庭的な雰囲気の中で出産できたことは、長男を分娩台で産んだ時よりも、痛みがやわらいでいたように思います。また.呼吸法を指示されないということが、いきみたいままにいきめるので力が入りやすかったという利点がありました。2人目の出産なので様子をわかっているということもあると思いますが…何よりも家族に見守られてのお産は安心感があり、精神的な支えとなったことが大きな利点です。

アクティブバースが、本当にめざすものは経験してみた私でもわからないところもあり、未知の世界のように思えます。しかし、家族が心を1つにしてそしてその家族の支えが、安心感や精神的な強さを持つことができるということは、昔も今も変わらないお産は、精神面から今後もっと楽なお産、安全なお産をめざすことができるような気がします。お産は痛い。つらい、ということが先行してしまっていますが、それ以上の喜び感動があります。その価値あるお産、命の誕生を女も男も子供も大人も、その目で、体で、心で感じることが、命の尊さを知ることになるでしょう。その感動をよみがえらせることがアクティブバースのめざすものの1つであるようにも思います。この感動が心にあれば、今の殺伐とした社会も変わっていくのではないかとさえ思えます。

アクティブバースが夫や長男の心にどのように映ったか、心にどのように残っていくのか。

今回のお産により私たちの家族の心が1つになりました。温かく迎えられた長女の名は〇〇、心通い支え合う家庭をつくっていきたいと思います。

最後になりましたが、温かい環境で安全に妊娠出産を見守ってくださった赤堀先生、助産婦さん、看護婦さん、スタッフのみなさん、ありがとうございました。

アクティブバースを終えて(夫)

5月12日、出産に立ち会いました。立ち会い出産は3年前長男の出産についで2度目です。今回はアクティブバースということで、分娩台ではなく普通の部屋で長男と母と家族4名で行った出産でした。第2児の出産なので、今回は長男のときよりは楽になるだろうと予測していましたが、陣痛が弱く以前よりも長時間になりました。長男もあまりに長いため、少しあきてしまって「今から」というときに「公園に遊びに行きたい」などと言い出して困らせるほどでした。

母から「いよいよ出産が始まる」との連絡を受けて、駆けつけると妻はソファーにもたれていました。私は、妻の援助をしたわけですが、どうしていいのかわからずただ妻を支えているだけでした。長男も不思議そうに見ているのがわかりました。いよいよ赤ちゃんが生まれようとしたとき、長男が「あっ、生まれる」と言ったのを聞きました。このとき、「出産シーンを長男に見せて良かったな」と思いました。私は恥ずかしながら出産シーンを見たのは、高1のときで、しかもそれは牛でした。そのときはとても感激したのを覚えていますが、長男は自分の家族が生まれるところを目の前で見たのですから、きっと心に深く刻まれたに違いありません。このような良い経験をさせてもらってとてもありがたかったです。私自身も今回の出産はとても意義のあるものだったと思います。(この子がもう少し大きくなったときにその意義が本当の意味でわかるような気がしてます。)

最後に、娘の出産に手助けしてくださり、お世話になった赤堀医院のみなさん、本当にありがとうございました。私も微力ながらおおいに子育てに関わっていき、良い娘に育てていこうと思います。

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