残像、この温かな日々

残像、この温かな日々(4)

そこに入ると今でも分娩室はそのままで、過去の遺産が保存されたように、消毒したままの器械類やガーゼなども器械棚の中に残されている。新生児室には新生児用コットが整然と並び、壁には優しいディスプレイが架けられている。もう誰も訪れることなど無いはずなのに、そこに居るとあの頃の必死さを伴った喧騒と新生児の息遣いや声が聞こえてきそうだ。そして今にでもお産も帝王切開術だってできる様な錯覚にとらわれる。

当院による分娩の取り扱いが終了してから18年(2025年現在)が経過した。全てがあの時のままのナースステーションの棚に3冊の声のファイルが残されている。この時までに生まれた子供たちは、もうお母さんやお父さんになって、この声のファイルを残していってくださった方々の中にはお孫さんのお相手をして方もいるのでしょう。

ここに来るとなぜかこの温かき日々を懐かしく思い出すのです。

*文章中、個人名や日時などの情報は個人情報保護の視点からも文章内容の意味が変化しないと考えられる範囲で文章の変更あるいは削除させていただきました。

ファイルのご紹介は1、2通ずつとなりますが、年月などは順不同となります。

声のファイル6

立ち合い分娩に対する感想

今回、立ち合い分娩に参加を希望したのは、妻の強い希望に依るものだけではなく、また、ただ単に興味本位の意志の上だけでもなく、自分の家族が1人この世に迎い入れる役目と言うか義務感からくるものが自分を参加へと導いたのではないかと思います。

予定日は12月16日、その日を2日過ぎても妻の体にはなかなか陣痛がやって来ません。不安と妙な安心感がミックスした心境で、妻ももちろんのこと夫の自分もそれに近い気持ちでした。

12月19日、朝10時頃、妻がトイレで出血したとのことでいよいよかと思い、あかほりさんに電話を入れたところ、おしるしとのこと、その日は自宅で様子見で終わりました。

日付変わって20日、深夜12時過ぎころからお腹の張りが15分~10分毎、12時半過ぎには完全に10分毎となり、1時半に再び連絡そして入院となりましたがここからが妻にとっては激しい痛みの陣痛と自分の体力とのやり取りが始まったわけであります。

午後3時頃、妻が余りにも痛さに耐えかねて分娩室へ行きました。この時自分としては再び部屋へ戻ってくるとばっかり思っていましたが、助産婦さんより時間は覚えておりませんがだいぶ進んでいるとの連絡が入り、そして自分も分娩室へと向かいました。

分娩室のドアを開くまでは何の緊張感とかそのようなものはほとんどありませんでしたが、ドアを手で開いて中へ入った瞬間、女性の叫び声が耳にたたき付けられました。それと同時に、それは妻の声とすぐに分かりました。

靴からスリッパに履き替え、中で何が起きているのか、妻は大丈夫だろうかと言う不安が一瞬頭に横切り、戸惑いの気持ちとは反対に体は妻のいる分娩台の部屋へと行っていました。その間は自分では覚えていませんでした。

中に入ると妻の今にも子どもを産むような体形で、痛みで苦しんでいる姿がありました。それにベテランらしき助産婦さんが1人いました。助産婦さんの指示に従い、自分は妻の左側へと、いよいよ、お産が始まるかと思うと緊張感が増してきましたが、妻の時折の大きな叫び声と苦しむ姿が逆に少しでも早くお産を済ませ楽をさせてやりたいと言う願いへと変わっていきました。

赤ちゃんの頭がもうそこまで見えていると言われ、自分の目で確認した瞬間、中へと再び戻ってしまいました。妻の力具合で出たり入ったりの繰り返しで、自分も手に汗を握るようでした。しかし、夫の自分には何もしてやれない。どうしようもなく、せめて自分の体力を分けてやりたい。又は少しでも痛みを受けてやりたい、そのような無理の願いが気持ちの中にありました。赤ちゃんの頭が見える度に妻の苦しみ、力いっぱいにそこに力を入れている姿形を見て、あせりをも感じました。

まもなくして先生とスタッフの人がやって来ました。先生とスタッフの方、それに助産婦さん、どの人も落ち着いたリラックスムードで、そこに固くなっている自分が居て、分娩台には妻と生まれてくる子で合計6人いるわけであります。

妻の力と生まれようとする子供の力、それに先生たちのプロとしての技量、それ等の全てを心より信じて自分は妻の左手と左腿を支えて「せーの、もう少しだ、せーの」掛け声をかけ、その結果、赤ちゃんの頭が半分近くまで出かかった状態までになりましたけれど、妻の力が抜けて再度試みると言った繰り返すこと4、5回、こうなったらあとひと踏ん張り、妻に「本当にもう少しだよ」と言葉をかけました。

全ての願いと努力が通じたかのように、午後5時45分、赤ちゃんの頭が完全に抜け体全体母体から抜けた瞬間、産声を発しました。「オギャー」と低音でしたが、自分としては本当に感激の一言、目に涙も溜まった瞬間でもありました。妻、子供の無事をもう一度自分の目で確認、そして妻の方から「あかちゃんは大丈夫?」と自分自身より子供を思う気持ちが私には伝わってきました。「大丈夫だよ、元気だよ、元気」と妻に自信をもって答えてやりました。

その後は胎盤などの処理やその他の処置が進んで行きましたが、私はそのまま妻の体についたままで放心状態でした。先生に言われて「もう終わりましたよ、そこへ座ってください」と聞いて初めて正気に戻ったことを覚えております。

お産の途中の血液やお産後の胎盤等などをまともに目の当たりにしましたけれど、特に気持ち悪いとかそういう気持ちはまったくなく、むしろ現状を素直に見守る淡々たるものでした。

最後に先生はじめ助産婦さん、スタッフの方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また、妻○子もよくここまで頑張り抜いたことに対しては心から祝福したいと思います。

そして、生まれてきた新たな家族、我が子〇〇には「初めまして、これからずっとよろしくお願いします」と心から大歓迎したいと思います。付け加えて自分も出産に立ち会えて、本当に大満足で幸せを感じました。  以上

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