寄り道は時々

浮世絵を訪ねて(2)

浮世絵を訪ねて(2)

小布施と言えば北斎ってことになりますね。何しろ最晩年に小布施に来て岩松院の天井絵を代表とする作品を書き続けたのです。この仕事ができた背景には地元の豪商高井鴻山の支えがあったからですが、北斎は此処で好きにしていいよ、お金の心配しなくていいからと言われて作品作りしたのですね。もう、今まで浮世絵だの墨田の風景だのなんて書いてきて、溜まった制作欲がいっぺんに花開いてしまったようです。何せ祭り屋台の天井画まで書いています。さらに多くの肉筆画を残しているところから書きまくっていた様子がうかがえます。小布施では今までの思いをぶつけてしまったのです。芸術家にとって如何に支援者が居ると言うことが大切かを思います。

さて、小布施にはもう一つの天井絵があります。

小布施へ向かう前の日は夜半まで分刻みに近いスケジュールをこなし、その間に僅かばかりの時間をとって夕食、バタンキューと言うもう若い方には謎の言葉そのままに寝て、朝はスマホのけたたましいアラームで起きてやってまいりました。

寄る年波とでも言うのでしょうか、あちこち回って慣れない昼酒も飲んだし、相当に疲れてもうホテルに帰ろうかって前にぜひ見て行こうってところがありました。

祥雲寺です。祥雲寺は、街の賑やかな通りから少し離れて一般の住宅地の間にあるようなお寺です。本堂までの道を歩いていくと今は誰も居ません。本堂の中には勝手に戸を開けて入るのですが、入った途端にびっくりするような感動が襲って来ます。特に拝観料などは無かったと思いましたが、慌ててお賽銭を入れました。

ここには、立派な龍の天井絵があります。何も下調べも無く訪れて、誰一人いない本堂で絵の下に居るとむしろ不思議な落ち着きを取り戻します。このしんとした空気は何でしょう。

この龍は毘沙門大龍図、五爪の龍と言われ、この五本爪の龍を書くことで、きっと高井鴻山と五本爪の龍の意味するところを熟知していたであろう作者の小林聖花が、勢いよく伸び行く日本をここに書き著したのではないか。当時の強き日本の象徴だとも感じていたのでしょうか。

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