寄り道は時々

浮世絵を訪ねて(1)

浮世絵を訪ねて(1)

このところ浮世絵を鑑賞する機会が多くなりました。と言っても浮世絵を収集したりするわけではなく、見に行くだけのために出かけるのです。出かけるにしても何らかの目的が無いといくら何でもむやみに新幹線に乗って行くなんてことはできません。

通常、静岡発8時41分のひかりで東京に向かうのですが、東京が如何に便利かつくづく思います。

東京駅に着いたらもうそこを拠点として何処へでも行けます。

今回は、長野県小布施町へ岩松院の北斎による天井画(本堂21畳の天井にある、葛飾北斎最晩年の絵「八方睨み鳳凰図」)を見に行きました。長野までは新幹線、長野駅からは長野電鉄で小布施駅に到着です。この岩松院の天井画を見ないまま北斎フォロワーとは言えないと言われて、しかも見るなら午後の遅い時間が良い、この絵は西日に映えるように書かれていると、先日東京の北斎展(HOKUSAI:ANOTHER STORY in TOKYO)で出会った画商の方に教わりました。

小布施町は栗の町、シーズンには栗のスイーツを求めて行列ができるほどの人出があるとのことでした。今回はシーズンオフなので人出はそれほどありませんでしたけど、桜もリンゴの花も終わっていてわずかに街路にあるドッグウッドの花が懐かしいような気持ちにさせてくれました。小布施にはお昼に着いたので、竹風堂で栗おこわの定食を頂いてから名所めぐりです。

訪れた折に、この天井画には書いた時の絵具入れの跡が残っているとの説明がありました。それまでは天井画を書くのは、特に高齢者にとって上を向き続けると椎骨動脈圧迫が生じてめまいを起こしたりする可能性があるので大変な作業だと思っていたところがありましたが、そうではないのです。天井画は一旦幾つかに分けた板の上に書きそれらを合わせて天井に張り付けるのです。そう、馬鹿みたいに当たり前の話です。それと、北斎の絵には必ずと言っていいほど富士山のモチーフが書かれていて、この天井画の中ではどれがそうなのか想像しなくてはなりません。

よく見ると継ぎ目には微妙なずれもありました。しかし、これだけの大作を書き上げる北斎も並々ならぬエネルギーの持ち主ですね。北斎は生涯3万数千点の作品を残していると言われますが、驚異的なエネルギーを持っていたのです。隅田川両岸景色絵図などを見るとよくもこんなに細かく細く乱れず書き上げることが出来たのかなんて思ったら不思議すら覚えてしまいます。

それにしても当時の北斎は目が良かった。白内障も遠視も網膜剥離も無かったのです。すみだ北斎美術館には北斎が絵を描いているところが実物大に近くディスプレイされていますが、床に這いつくばるような姿勢で書いている様子は、今では考えられない状況ですね。

このところ、浮世絵について三つ学んだことがあります。

一つ目は、刷り跡に版木の木目が写り込んでいることは、その絵がまだ刷り初めの新しい段階のものであること、刷った枚数が多くなると木目が消えていく。

二つ目は、浮世絵は庶民が楽しむもので一枚が安く売られていたこと、高くてもそば一杯分くらいだったとのこと、このことから当時の日本では絵画の文化が富裕層だけでなく当たり前のように人々が楽しむべく広まっていたことが伺えますね。

三つめは、絵師は全てを書いていたのではないこと。浮世絵は絵師、彫り師、塗師が三位一体となって出来上がっています。絵師がここは海、空、などと指示しただけで彫り師が図案を彫り、塗師が色を選んでぼかし、グラデーションを付けたものがあるとのこと。さらに髪の毛など細く彫るのは彫り師が腕の見せ所と絵師の図に無くても気を利かせて細く彫りこんだものらしい。

浮世絵を見る楽しみは、当時の文化や地理と作者の意図を想像できるところにあるのですが、残された色彩が朽ちることなく現在まであることの力強さを感じることが日本人としての感性に通ずるのです。

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