この街では、夜間に歩く者は居ない。ワンブロック離れた通りには車が走ることさえないのだ。
ラボのセキュリティーは午後5時をもって終了する。17時以降にラボに居る場合には自室のドアに鍵をかけて部屋に籠っているしかないのだ。
「マーシャラァーツ?」一人の若い黒人がモップの柄を持ってトイレ中の背後にいる。トイレの掃除に来たのだ。「カラテ?僕は空手の達人だぜ」、彼は黙ってモップで床を拭いていた。
公園の駐車場には、バールを持って車のトランクを開けては物取りする若者達がたむろするところだ。街には随所にトランクの鍵を取り付ける業者の店がある。
「チャーリー、街へ飲みに行こうよ」、「そうだな、一度くらい連れていくのも良いけど2度とは行かない、それもウンと寒い日の夕方が良い、ホテルのバーだけだ、いいか天気の話以外するな、喧嘩になる」
ホテルのバーまでは2ブロックある。
街路には薄い霧のような空気が漂っている。
薄暗い街燈が灯り、何時か映画で見たような光景だと思った。
市街の夜は、あたかも戒厳令下にあるような夜、戒厳令の夜、戒厳令の夜街には誰もいないのだ。
昼間の賑わいは消えて、うすい靄の中には、行き交う者はいない。
寒い秋の夜に動くものの影さえない。
チャーリーが、ポケットから手を出すな。手を出した瞬間にやられると言った。
1ブロック先に、うっすらと一人の人影が近づいてくる。
チャーリーは、左手の指に2ドルを挟み持って、斜め上に挙げたまま歩いていく。
すれ違いざま、パチッと軽い音を立てて、2ドルを男は持っていった。
すれ違いざま、低い声で「グッドラック」と聞こえた。