秋になると、思い出すことがある。人には自分の生命を守るための規範と、曖昧だけれども人の形成する社会の中に約束されたローカルなルールがある。そのことを本能的に悟らない限り生命を守れない社会が厳然としてあることを知った。深い歴史の中で形作られた此の地の文化が人の中の遺伝子に密着してしまったのだろうか。
降り注ぐような落ち葉がそれでも暖かな午後の日差しの中で風に舞っている並木道の歩道。
「ロースト?」深く沈んだ面持ちで時間をやり過ごそうと歩道に佇んでいた時、たっぷりとした白地のパーカーを着て、子犬を連れ散歩していた若い女性が声をかけてくれた。
夕暮れまでにはまだ時間のある時だった。
「ゴーアウエイ」、古いシボレーから老人の恐怖に満ちた声が投げかけられる。一瞬、右手が動いてグローブボックスから長身のリボルバーを取り出し、震える手でこちらに向ける。
いや、これ以上なく散大した瞳孔と網膜の動脈が激しく脈打って、その時の光景が揺らいで見えたのかも知れない。
もう一度、「ゴーアウエイ」、今度ははっきりした声で伝わる。
確かに今、銃が自分を守る道具として成り立ってきた社会の中にいるのだ。
秋の日が傾き始める時間、道に迷ったショッピングモールで、人の良さそうな老夫婦を見かけて声をかけようとした。
朦朧としたショッピングモールの建物が見えて、行き交う人もまばらな世界、次の瞬間、暗い闇に落ちていく自分がそこにいた。
昨日、エレナはカップやら皿やら何も調度の置いてないキッチンで夕食の準備をしながら、自分の寝室のベッドサイドチェストに小さなガンを置いてあることを教えてくれた。
「迷わず撃つわ」、ここでは身を守るために銃は必要最小限のツールであり、生活用品の一部になった。帰りのドアの脇には2連のショットガンが立てかけてある。
翌朝、勤務先のラボでコーヒーを飲みながら、チャールズストリートに面したアパートに住むナンシーが、「聞いて、昨日の夜、もう寝てたけど2発撃ち込まれたのよ、起きてたら死ぬところじゃない」。
夜になると僕の住むカウンティのストリートでも銃を打ち鳴らして暴走する時代であった。