手が触れると白い繊維質の埃が三筋の線になって、自分の手跡より何か目に見えない獣が走ったように見えた。
ガタついた本棚には井上靖の詩集が並んでいる。何気なく手に取った詩集運河はパラフィン紙が透かせば薄っすらとセピア色になって、初版の頃の強度を失い、プリーツのようになってところどころ破れている。
独特のかび臭いような書籍が熟成した匂いが装丁箱の中から鼻腔へ満ちて、青年時代の夢の中へと引き戻される感覚は、大地に寝そべり、昼の空の中へ吸い込まれていく、新月の空の千万もの星の中の宇宙へ落ち込んでいく不思議な意識も同時に思い起こさせる。
詩集には少年時代に大陸にあこがれ、大地の民族のもとへ行きたい気持ちを抑えられなかった頃、付近の一番高いところの木に登り、遠く海の向こうを眺め、きっと大陸がこの先にあると思い続けた少年体験を呼び戻すには十分な生体的感性で匂いが存在した。