散文詩と随筆

午前8時36分

午前8時36分の道、だれも行き交う事のない時間、道の際まで硝子戸の店ののぼり旗だけが、道の途中に動くものとして存在している。

この道には、嬌声だとか、歌声だとか、声が染み込んでいる。

朝日を背にしたトタン張りの壁に浮き出た錆び、崩れて傾いた板壁にぶら下がった配電盤、何もかもがあの時、少し前の賑わいの痕を残して存在している。

往時の人々の往来をこの道は明らかに知っている。

ある時には、神楽が道筋の商店に門付けしながら流していた。

こどもらは材木の切れ端で車ごっこを、老人は道に面した狭い土地に粗末な木の椅子を持ち出して長いこと話していた。

道は一時のお祭り騒ぎの末に、その役目を失おうとしている。

歴史にあった町が、道が、存在する価値と意味を失い消えて行き、残像のように故郷だけが残った。

この道、お前には語れる名前など無いけれど、厳然として長い間役目を果たしてきた。

午前8時36分の道、だれも行き交う人もいない。

お正月は伊勢の神楽の門付けで始まった日、土の土間に乾いた鼓の音が吸い込まれて神楽の口は大きく何かを吸い込んでいた。

やがて、獅子舞が終わると手拭いを巻いた頭が現れてくる玄関の土間は不思議な空間になっていった。

アスファルトに触れれば冷たいなか、誰も行き交う人がいない。

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