べシュライバーはプロフェソアの前で口述された診察所見をカルテに記載する役割を担った若手医師のことである。
かつての年代は診療現場ではドイツ語が飛び交い、学生でさえ憶え立てのドイツ語を得意げに口に出しては一端の医学生を演出していた。
病院の外来や病棟で患者の症状はドイツ語で記載がなされ、当然のようにプロフェソアはドイツ語に堪能であった。
ドイツ医学は、砂漠を超え海を渡りこの地に幾霜の時代を住み続けた民がやがて滅ぼされ消えていく様に似て、現在ではべシュライバーもドイツ語のカルテ記載も症状所見の伝達手段として口伝されていた時代を彷彿とさせる以外の価値を失った。
昭和53年、金曜日の夜、当直室のテレビでキャンディーズのファイナルカーニバルを見ながら、ウイリアムズ産科学の一部の章を翻訳していた。
章の中には子宮はもはや聖域(sanctuary)ではなくなった、という表現があった。この時から産科学の気配は変わり、新たな思考方法が台頭していた。
見えない世界、見ることのできない世界を野辺のホタルのように、ほのかな光を点滅させながら生を得てきた記述は、戻ることのできないあの時の一瞬にも蓋をしてこの世界から消えていくのだ。