お産文化の記憶

お産の記憶 その6

臨床医には、悲しいことばかりが強く心に残る。忘れられないことばかりが強調されて記憶に残る。そのことは、たった一行でしか書き記すことができない事柄であっても残る。

産婦人科には殊の外生命を失うことへの無念さが残るのだ。母に生命を依存した胎児もろとも死を余儀なくされる時、あの時、あの時、なぜあの時、と自問し自らの狭量な心を悔いるのだ。その無念さと後悔が、そのことが、臨床を包括的なものへと一歩ずつ先に進めてきた。

1970年代、当直していた病院のことである。夕方から数名の分娩を済ませ、やっと眠りについた夜半、白血病の患者さんが痛がっていますので診てくださいとコールがあった。ここには様々な合併症を有した妊婦さんが入院していた。白血病の方、妊婦、頭の中では何が起こっているのか探りながら病棟に向かった。床頭台の暗い明かりの中、果たしてその妊婦さんがいた。

体には不思議なほどの出血斑が散在し、薄ら明かりに一言だけ、先生、痛いです、助けてください、確かにそう言った、モルヒネを持って来てください。

今、痛みを楽にするからね。モルヒネが間に合う暇もなく、振り向いた時には既に臨終顔貌でなす術もなく死線期の息の中こと切れていった。助けを求め差し出された右手は待っていたのだ。一握り手をとってあげれば良かったのか。

日本がん・生殖医療学会のホームページによれば、妊娠中の急性白血病の発生率は、出生当たり0.4〜1.4 / 10万人であり、妊娠は白血病の経過に影響を与えないと一般的に考えられていますが、これらは非常に少ない過去の報告に基づいています。

急性白血病の妊娠患者について、当時と同じ1972年から1982年に発行された論文のまとめでは妊娠中に急性白血病と診断された女性の生存期間は、急性白血病の治療を受けた成人の生存と一致していることがわかりました。現在でも妊娠中に急性白血病と診断された患者の全生存率は3年で65%、5年で46%であり、非妊娠例と比較しても妊娠は急性白血病の経過に影響を与えないと結論付けられています。現在は白血病への治療方針も進歩し、新生児管理が進歩しており、母体の治療のために早産させ、児への抗がん剤の影響をできるだけ避ける治療法を選択し、それぞれの状況に応じた治療が選択されています。

病理解剖するから準備しよう。病理医でもある院長は、ご家族にお腹の中に赤ちゃんが居たままではお母さんにもかわいそうだから、身を二つにしてあげるようにしなければとお伝えし、病理解剖室へご遺体を移動させた。この病院の解剖室は病院から離れて木々の中の目立たない場所に独立してあった。夜明けまではまだ少し時間があるし、お線香をつなぎながら、1時間余を安置室で過ごしていた。

病理解剖は、臨床医にとっては疾患への多くの理解を与えていただける。早朝、病理解剖は開始され、無事に親子は身二つになって母の胸に抱かれていた。既に収縮する力もない子宮に残っている胎盤は子宮壁に付いていて、剥がすと机にペタっと張り付けた粘土を剥がすような感触で剥離してきた。妊娠の成り立ちさえ教えていただいた。

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