お産文化の記憶

お産の記憶 その5〈追補〉

手元にあった哺乳瓶の写真です。蜂印とあるので、大正から昭和の薬瓶などを製造していたメーカーの哺乳瓶と思います。親切にミルクの分量が分かりやすく印刷されています。

牛乳も飲ませるように分量が示されており、当時は牛乳の次にお湯で薄めるように書かれています。

明治から大正時代の哺乳瓶〈尿瓶ではありません〉、200mlのミルクが入るようになっていて長いゴムの吸い口(乳首)を付けて、赤ちゃを寝かしたままミルクが飲めるようになっています。当時のお母さんも忙しかったからですね。何処か収納場所を探さないといけないけど、両方とも書斎のデスクの上に置いたままになっていて毎日眺めることになっています。

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