僕にとって知の巨人と言えば、南方熊楠、柳田国男です。お二人とも明治、大正、昭和を過ごし、その得た知識は膨大なものになります。其処にある知識からは断片的にしか理解はできないけれど名前を聞いただけで凄いなと思ってしまう存在ですね。それは、人類が未知のものへ挑戦し、調査研究し、記録に残すという作業を自らが対象へ赴き連綿と続けてきたことにあります。
それまでだって、研究とか開発とか人類は我が生存競争のため作業を続けてきました。そのことは明らかに種の保存への原理的行動であったし、ヒトは地球に存在する大知を持って君臨することになり、人類以上に新しい種に発見されることも無ければ、新しい種の台頭等により駆逐されることも無かったのです。そのことで人類は一方で我が種を上回る知を持つ生命体の出現に恐怖してきたのです。その一例が宇宙人伝説で、宇宙にはきっと人類の知を上回る生命体が居るのに違いないと思い続けてきたのです。
2022年も終わる頃のこと、突然に地球に出現し、増殖した新しい疑似的生命体にもなりうる技術的に作り上げられた存在が世界中に普遍的に出現しました。生成AIのことです。
(AIで調べた結果:「生成AI」とは、「Generative AI:ジェネレーティブAI」とも呼ばれ、学習済みのデータを活用してオリジナルデータを生成する人工知能の一種です。生成AIは、テキスト生成AIや画像生成AI、音声生成AIなど、多様な種類があります。生成AIが新しいコンテンツを生み出すためには、大量の学習データを与える必要があります。生成AIには、多くのビジネスシーンで活用されており、DX(デジタルトランスフォーメーション)にも欠かせない技術となっています)
昨夜は、ある講演会で室山哲也氏の講演「生成AIの衝撃!人工知能時代をどう生きるか」を聞いてきましたよ。講演の内容を紹介しながら僕も勝手に解釈することになりました。
今やと言うか、まだ、人工知能が1年かそこらしか経っていない生成AIは、共存すべきかどうかなんて議論とは全く関係なく信じられないほどの短期間で進歩しています。今のところ、AIはデータを与えてあげなければその能力を発揮できないけれど、適切にビッグデータを収集する能力を取得して僕たちのあらゆる問に答えてくれるようになっています。
しかし、この生成AIの出現によって、人間とは何だろうということにもなってきたようです。人間は知の動物であると仮定すれば、生成AIは人類が新たに取得した知の集大成です。現代文明は、人間能力の拡大の歴史とされますが、知としての能力に限れば人工知能に巨大な恐れを感じますね。人間中心主義は正しいのかという問いにもなるようです。
AIを人類が獲得した知とするならば、学問や試験の分野でも学生にも使うことを許可しても良いと考え始めることにもなったし、確実にAIにとって代わられる職業さえリストアップされて、ある種の職業が失われることさえ明らかになったとの報告もあります。各省庁も今年度になって、生成AIとの付き合い方などや少子高齢化に結び付けて利便性の開発などについての方向性を出しているようです。今後のAI時代に職業の新しい分野が出現することは知の種である人類の歴史からも過渡期にあたるのでしょう。
現在までは弱いAIとして、ある技術に特化されたAI(主に技術的、将棋など勝負的なもの)であったけれど、強いAI(生成AI)の出現で汎用型AIが出現し、人間と同じような意思、思考を持つように進化するのかが問われています。確実に言えることはもう私たちは生成AIなしでは生きていけない世界が来る、と言うより来てしまったのです。
私たちは生物であり、様々なコントロールシステムにより感情を有した行動が可能である生き物として存在していますが、AIは現在、おそらくこの先も敢然として死に物(いきものvsしにもの)だと規定されています。このことは、一抹の支えではありますが、現在でも疑似的感情表現、すなわち感情のこもった表現(文章・音)は可能となっています。しかし、これらさえデータを学習して再現できることですが、AIのAが無くなり、人工知能の人工が取れる日が何時か来るかも知れないという時が来るのだろうか、人類は現在までに積み上げた経験などによる知識を整理、上書き、集積し、長い時間をかけて遺伝子さえ改変させながらも現在の自分に行きついているのです。この積み上げたデータをAIは時間軸的には、いとも簡単に目にも止まらない一瞬で生成AIに成長しました。カーナビが出始めの頃、カーナビの道案内する音声に名前を付けては「○○ちゃん、ありがとう、もっとしっかり案内してよ」などと言ってはいましたが、今は、AIに働きかけ、呼びかけて愛を伝える事だって出来るのです。AIは膨大なデータの中から最も適切な声音と言葉で返事を伝えてくれるようになっているようです。でも今の状況では、AIから愛を打ち明けられることはないのです。だけど、いつの日かAIから人工が取れた知能に愛されてしまったら恐ろしいことになりますね。
人間の知は好奇心であるとすると、強いAIが好奇心を持つ様になった時に併存していけるのか考えてしまいますね。死に者であるAIが新たな地球上の新種になる時が来るのだろうか。突然変異が地球上の生命体をより強くし周囲の環境に適合させて来たように、AIが突然変異を起こすことは否定しきれませんね。でも、生成AIが良きお友達でいられる限りこんなに楽しいことはないでしょう。こんなに便利なことはないからね。
AIが世界中に広がった現在、文化や風土と言うものが平均化、画一化されていくのでしょうか、そうなった時に新たな性格の人類が地球上に広がるのかも知れませんね。
僕たちの医学の世界でも一部では、既に現在生身の医者の能力(診断時間的短縮、診断能力において)を上回る診断をしてくれている特化型AIがあります。これから医学教育の中で、AI医学科が出現し、内科、外科などと並んで履修するようになるのだろうな。